地域公共交通活性化 なぜ生まれた?「輸送資源の総動員」

論説
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何玏(芝浦工業大学大学院博士課程)

さて、前回は地域公共交通活性化 あるべき「輸送資源の総動員」の姿を考えると題して、政策面から見てきました。最後に、こうした「輸送資源の総動員」論を国土交通省が唱道することの問題点と背景を考えます。

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国土交通省「輸送資源の総動員」論の問題点と背景

自治体の公共交通政策を底抜けにしてしまうことが問題

国交省・総務省の公式理論を示した文書である「地域公共交通の活性化及び再生の促進に関する基本方針」をもう一度見てみましょう。

「(略)路線バスやタクシーといった従来からの公共交通のみでは地域の移動ニーズに対応しきれない場合には、自家用有償旅客運送や、スクールバス、福祉輸送、商業施設の送迎サービスなど他の交通手段による補完を行いながら、地域の輸送資源を総動員して、移動手段を確保していくことが重要である。」
――地域公共交通の活性化及び再生の促進に関する基本方針 二の1の(1)の③

 この部分を含め、この基本方針では、どこまでを公共交通で守るべきかという領域定義がされていません。地方ローカル線・赤字路線バスの維持確保に現に取り組んできた自治体に対して、「対応しきれなくなったら自家用送迎車活用で良い」と国が唱道することは、自治体に戦線縮小・撤退を促しているようなものではないでしょうか。このような形での上からの輸送資源の総動員論は、自治体の公共交通政策を底抜けにしてしまうことが問題です。

 どうしてもカネも人もない自治体が独自に自家用送迎車を含めた輸送資源を総動員して地域の課題に対応しようとすることはあながち否定するものではありませんが、国が三本柱の一つとして主張する内容として正しいかどうかは別問題でしょう。

 なぜこのような方針が国の地域公共交通政策の三本柱の一つの地位を得られてしまうのでしょうか。その背景をいくつか考えてみます。

背景1 強固な現状維持・改善路線

 昨今の地域公共交通活性化再生政策においては、公共交通の現状のサービス規模をなにか動かせない絶対の資源制約と捉える観念が存在するように思われます。現状のサービスを組み換えたり(再編)、利用率の低いサービスを減らしたり(ダウンサイジング)することが地域公共交通活性化再生の主要な取組内容として位置付けられるのもそうした観念を背景としたものだと言えます。

 しかし、本来ならば、住民から集めた公的資金を元手に資源を新たに調達し、今あるサービス供給量の枠を増やすことも自治体の重要な仕事のはずです。お金を投入しさえすれば、行政の責任で共同調達するタイプの移動サービスを拡張できるという観念が、昨今の地域公共交通政策からは欠落しているのではないでしょうか。

 昨今の自治体地域公共交通計画では、運転手不足が決まり文句としてそろって使われています。これも、いままで自治体が共同調達を増やすような形でバス市場を盛り上げてこなかったために運転手の待遇が悪化している結果なのに、現状を追認してさらにサービス供給量=調達量を削減しようとするというあべこべな方向に向かってしまっています。

 ついでにいうと、現状の地域公共交通活性化再生の文脈では、鉄道・バス事業の現状を原因と捉え、それに対して自治体が公共交通を活性化させる対策を取るという考え方が多いように思われます。不便→再編、運転手不足→サービス削減というように。しかし、筆者はこれは因果が逆だとみています。マイカーの隆盛による公共交通の事業環境の悪化に対して公共セクターの取り組み(制度変革・財源確保)が手薄だったことの結果として、改善プロセスを欠いて不便な既存サービス・劣悪な待遇による労働力不足に陥っているという風に考えます。このような発想の下ではむしろ、制度を改善したり、資源制約を突破することが自治体の公共交通政策の主な課題になるのではないでしょうか。

 そんなわけで、国交省の2020年地域公共交通活性化再生法改正の説明資料を見ても、いかに効率を上げるかというのが問題意識の中心にあるように見えます。本来ならば、地域課題の改善が重要なのであり、そのためには新たな資源の投入もすることを辞さず、しかし効率よくやることでさらに多くの地域課題を改善する――という発想が求められるはずなのですが、現状の資源の枠内で効率を上げることが取り組みの基本という話になってしまっているように思われます。

 地域公共交通活性化再生に取り組んでいる方にあっては、「とはいっても運転手がいないんだからどうしょうもないだろう」という見解もあると思います。次はその点について議論します。

背景2 根治策よりも目の前の改善を常に優先する世界観

 地域公共交通活性化再生の領域では、「現場ですぐ役にたつアイデア」が重んじられる流れがあります。そうした観点からは、「運転手不足を資源制約と捉えるのは一面的で、そもそも運転手が増えるような仕組みやお金の流れに作り替える話もしよう」というような議論はいかにも回りくどく遠大で、ともすれば現場の役に立たない机上の理論ということになります。

 筆者は端的に言って、このような極端な実用主義(いますぐ現場で役に立つアイデアしか認めない)は、担い手の思考の幅を狭め、長い目で見た時の問題解決を遠ざけてしまうこととなってしまうため、好ましくないと考えています。

 世間には、即効策と根治策が矛盾する場面があります。例えば中央官庁の激務を緩和するために、暇な部署から忙しい部署に応援をするという方策が報道されていました。しかし、このような弥縫策で激務が一定程度緩和されてしまうと、要員を増やすという根治策はかえって遠のいてしまいます。

 現場では即効策で問題をただちに解決することも重要です。しかし、専門家や中央官庁に期待されているのはむしろ、即効策だけでは解決できない根本の仕組みの問題を解決するアプローチのはずです。国が「鉄道・バスが無いなら商業施設の送迎バスを使えばいいじゃない」という水準のことを言ってしまえば、根治策は果たして誰が検討するのでしょうか。

背景3 多面的議論の不足

 最後に、政策形成過程への疑問を述べておきます。前編で指摘した、送迎バス活用の実務上の問題点は、言葉を選ばずに言えば、少し検討すればわかるはずのことです。

 では国は十分にこれらのことを検討したのでしょうか。国が地域公共交通活性化再生の取り組みの手引書「地域公共交通計画等の作成と運用の手引き[詳細編]」の第10章 具体的な施策・事業の検討についての10.2 施策・事業の具体例の③地域の輸送資源の総動員を見てみましょう。そこには、国土交通省が「輸送資源の総動員」の実践例とみなすものを記載しています(175p)。ただ、その内容は、スクールバス混乗、自家用有償旅客運送による観光客の輸送、定額制タクシー、貨客混載であって、「基本方針」に掲げられた商業施設の送迎サービスに係る事例は含まれていません。どうやら、国としては送迎バス活用に関して紹介に値する具体例までは把握していなかったようです。

 一見良さそうですぐ効きそうな方法が、議論が熟さないまま政策にとりこまれる政策形成過程には疑問を持たざるを得ません。やってる感行政、お題目行政、キャッチフレーズ行政、アイデアコンテスト行政からの脱却が課題でしょう。

 全体として、いまある資源の枠内で改善・効率化を行うという取り組み方は、現場の即効策として必要な場面があることはわかりますが、それだけではいけないはずです。ましてや、即効策以外の議論を机上の議論としてことさらに遠ざけることは、思考の幅を狭めるだけで、そうするメリットが見当たりません。

輸送資源の総動員の議論にも使いどころはないの?

 ここからはおまけです。

 「輸送資源の総動員」をなぜ採用すべきでないか、なぜ問題なのかを長々見てきましたが、輸送資源の総動員・あるいはその議論にも「使いどころ」はないのでしょうか。

 筆者はあると考えています。それは、一部の送迎バスに公共運送の性格を認めようとする論理が、道路運送法のような交通事業法の再構築につながる可能性があることです。ただし、この点については改めて議論したいと考えているので、概略を述べるにとどめておきます。また、上記で述べた「他者輸送・共同調達・自己調達」「公共運送と私的交通」という議論を少し修正してもいますので、混乱しないようにしてください。

 現状の道路運送法の問題は、他者輸送であることを以て公共運送を規制しようとしていることです。かつてマイカーが無かった時代には、ほとんどの交通需要は事業者によって輸送される必要がありましたので、他者輸送=公共運送という図式が当たり前のように成り立ちました。他者輸送はマーケットを通して供給されますので、そこには必ず対価が発生します。道路運送法の「他人の需要に応じ、有償で、自動車を使用して旅客を運送する事業」というバス・タクシー事業の定義もそれに従ったものです。

 しかし、モーターリゼーションに伴ってマーケットを通した公共交通が衰退し、その空白を埋めるように自治体や地域組織を通した共同調達タイプの運送サービスが増えてくると、「他人の需要に応じ、有償で」運送することを以て規制対象を画することが不合理になってきます。

 例えば、自治体のコミバスの中には無料のものがあります。そうした輸送サービスは外形上は公共運送をしていますが、道路運送法では無償のため運送事業として把握できず、公共運送に求められる安全確保や利便性確保の制度上の保障の網から漏れてしまっています。これを問題視して、自治体に有償運送にするように求める向きもありますが、公共運送が有償であるべきか無償であるべきかは地域の自己決定の問題であり、有償でなければ一人前の交通手段ではないという認識は倒錯しています。有償でなければ公共交通として認識できない制度の側に問題があるととらえるべきでしょう。

 過疎地において民間路線バスが廃止された後に自治体が直営で運行する廃止代替バスは、市町村が市町村民を自ら運ぶための行為ということで他者性の定義から外れ自家用=白ナンバーとされていましたが、このために安全性確保措置に緑ナンバーバスと差が生じるのもおかしな話です。(実際には運輸局から緑ナンバー並みの安全確保を指導されていましたし、現在の自家用有償旅客運送の仕組みでも、緑ナンバーに次ぐ水準の一定の安全確保策が講じられています)

 道路運送法が守ろうとするのは本来公共運送のはずで、他者輸送はその目印に過ぎないはずです。にもかかわらず、他者輸送を事業把握の中心に据えつづけると、それは結局は類似営業行為取締りという業界保護中心の運用に矮小化してしまうことを避けられないでしょう。

 他者輸送を守る法律から、他者輸送か共同調達か自己調達かにかかわらず公共運送行為を律する法に道路運送法を作り替えることが必要ですが、「輸送資源の総動員」が民間の送迎バスに公共運送性を見出している点は、期せずしてこうした改革の方向性につながる論理を内包していることになります。

 逆に、輸送資源の総動員を突き詰めると、マイカー相乗り=ライドシェア促進ということにも容易につながりますが、これは「業界」の反発を招かないのでしょうか?

まとめ

 輸送資源の総動員を切り口に、地域公共交通活性化の行政にかかわる問題意識を紹介しました。筆者としては、視野の広い、展望のある地域公共交通政策をぜひ見たいと、微力ながら実務の世界で引き続き奮闘していくつもりです。

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