交通と運輸の違い

地域公共交通の学説
地域公共交通の学説

日本語の「交通」は幅広い意味を有する一方で、学問の世界には狭義の「交通」が存在します。何種類かある「交通」は、行政でも学問の世界でも暗黙のうちに使い分けられており、初学者にはとかくわかりづらくなっています。何種類かある「交通」は実際にはお互いにかなり異なる専門領域であり、その区別が明示的でないことは、議論の上で混乱を招いたり、引いては学生の進路選択でも食い違いを招いたりしているかもしれません。本ページでは、何種類かある「交通」の違いを解説します。

交通と運輸の違い

何種類かある「交通」に関する説明としては、松沢のものが非常にわかりやすいです。松沢は、定義と対応する学問と英語と所管する官庁を次のように分類します。

  1. 往来 都市計画・交通計画 trip 建設省
  2. 運輸 交通経済学 transportation 運輸省
  3. 交通 交通工学 traffic 警察

人的な都市交通は大雑把なとらえ方ではあるが大きくは3つの側面をもつ。

第1は、口語的でいえば「行く」、「来る」という概念で、人の移動がどのような目的でいつ、どこで発生して、どのような手段を用いていつ、どこに到着するかという「トリップ」として把握されることである。

第2には、「運ぶ」という概念であり、「輸送」、「運輸」として把握される。これらは自らで行う自家輸送もあるが、都市交通では多くは運輸事業者による。運送事業者は乗客需要に関心があるが、乗客のトリップ属性にはとくに関心はない。

第3は、「通る」という概念であり、「通過・通行」、「断面交通」として把握され、あるいは狭義の「交通」としても把握されている(以上、『経済学辞典<第3版>』岩波書店の拙稿「交通統計」参照)。

第1の「交通」は、英語を借りればTripやJourney(Travel)であり、事業所-居住地の空間的な立地計画との関係から、主として「都市計画」「交通計画」で研究されてきたといえる。政策官庁でいえばインフラ整備の観点から旧建設省(国土庁)。

第2の「交通」は、Transport(Transportation)であり、運輸事業に関する課題を主とする「交通論」「交通経済論」で研究され、政策官庁は旧運輸省。

第3の「交通」はTrafficであり、主として「交通工学」で研究され、政策官庁は円滑な交通流を管理する警察庁。

出典:松澤俊雄2005「都市交通政策論の研究課題」(運輸と経済2005年1月号)

竹内の説明もわかりやすいです。

交通者と交通サービスの提供者が別の主体である場合を「輸送」と呼んで、自ら動く「交通」と分別している。これは観点の相違とも言え、交通者の観点からは、交通サービスを利用していても、あくまで自らの意思で交通手段を選択して動いているのだから「交通」とする認識が強い。一方、運輸事業者や交通計画者は、人々の交通ニーズと交通サービスの供給を適切に結びつけることが主題であるのだから「輸送」の観点が重要である。

出典:竹内伝史2011『地域交通計画:政策と工学』(鹿島出版会)

竹内の説明は、旅客鉄道やバスは、運輸業でありながらも、乗客にとっては自ら交通をしているという二重の性格を持つことを強調しています。これは、貨物鉄道やトラックには交通する主体が無く純粋に運輸業であることと対照的です。余談ながら、バス・タクシー会社の屋号には「○○交通」が多く、トラック会社の屋号には「○○運輸」が多いのは、この点を反映しているかもしれません。

公共交通の研究をするために

何種類かある「交通」が互いに一定の共通性を持つとしても、公共交通についてはやはり交通経済学の知見を何らかの形で用いることが必要なのではないでしょうか。

公共交通は、運送者と旅客という異なる主体が市場を通して結びつくところに特色と複雑さがあり、市場における異なる主体の相互関係の問題や運送サービスの供給判断の問題を扱わない交通工学・交通計画学では、交通経済学の代わりにならない部分がどうしても生じると思われます。

暗黙に使い分けられる「交通」の意味

何種類かある「交通」の暗黙の使い分けを実例で見ます。

下図の本は「都市交通」とありますが、公共輸送機関のみ(それも、ほぼ鉄軌道のみ)を対象としており、道路交通流や住民の交通行動はまったくの埒外です。執筆者は鉄道技術関係者がメインですが、鉄道関係者にとって「交通」とはすなわち「輸送」のことです。

国土交通省の「都市交通調査」は、住民の交通行動やモノの動きを対象としており、公共交通サービスの供給状況は埒外です。都市計画行政を管掌する都市局の行政分野であるためです。

月刊交通という雑誌がありますが、これは道路交通流の管理に関する専門的内容を扱う雑誌です。警察庁交通局が実質的な発行元です。

「交通」という単語を見たときに、それがどの「交通」なのかを一般ユーザー側が見分けることが求められる実態があります。

下記の組織名の「交通」の意味を見分けてみましょう。

  • 公益財団法人交通協力会
  • 一般社団法人交通工学研究会
  • 公益財団法人日本交通管理技術協会
  • 公益社団法人日本交通計画協会

その他、参考となるテクスト

日本においては、何種類かある「交通」の定義を明示することは野暮という風潮があるかはわかりませんが、何種類かある「交通」の区別はあまり語られてきていません。しかし、その中でもいくつか言及がありますので追加的に紹介します。

加藤晃

竹内伝史の先輩格の共同研究者です。

加藤晃2007「交通工学、都市交通との係わり」

本体 リンク元

私は簡単に交通計画、交通工学と書いたが、この両者の交通の意味は、厳密には同じ領域を示していないことが多い。日本語で交通工学といった場合は、英語の traffic engineering のことを指していることが多い。traffic engineering はいうまでもなく、アメリカで自動車が発達してきた段階で、自動車の運動と道路のカーブ、勾配、舗装やすべり易さなどの諸元と、人間の運転や歩行などの行動関連を対象とした技術領域を云うのに対して、交通計画といった場合は、道路交通も鉄道輸送も歩行も含めての領域の計画を言うことが多い。これはtraffic eng.が日本に入ってきた戦後では、鉄道はすでにrailway eng.として独立しており、歩行や自転車は交通技術の対象にまだ含まれていなかったからで、そのときにtraffic eng.を自動車交通工学とせずに交通工学と訳して一般化したからだと思われる。日本語は場合によっては「あいまい」でなんとなく通じてしまうところがある。交通と輸送についても、厳密には異なる形態を指している。交通は自ら動くことに対して使うものであり、輸送は他者によって送られる移動である。だから自動車交通は正しいが、バスは、本来はバス輸送である。その意味では公共交通も公共輸送と表現すべきであろう。

交通工学の中心課題は、道路交通の安全と効率的な移動であり輸送である。そしてそれを支える技術(Engineering);規制(Enforcement);と経済性(Economic)が必要とされ、それを人々に普及了解してもらうための教育(Education)も必要であった。また自動車が普及するにつれて、環境(Environment)との係わりが強くなり、交通工学は最初の基本要素の4項目のEから5項目のEのマスターが必要といわれるようになってきた。

家田仁

家田仁先生が授業で教えるところです。
  • 交通の世界を「用語」で見ると?(交通を見る視点の多様性)
    • 何かを運ぶ(主体的、他動詞的) transport、transportation
    • 何かを動かす(主体的、他動詞的) maneuver
    • 何かが動く(客体的、自動詞的) traffic
    • 移動する(主体的、自動詞的) move、mobility
    • 旅をする(主体的、自動詞的) travel
  • 交通学の三つの側面
    • 行動学的側面:交通行動・交通需要の理解とマネジメント(需要サイド)
    • 工学的側面:交通システムの設計とマネジメント(供給サイド)
    • 政策学的側面:交通政策・制度の設計とマネジメント(政策サイド)
  • 交通需要のもつ二つの側面
    • 派生需要としての交通 secondary demand(手段としての交通)
    • 本源需要としての交通 primary demand(目的としての交通)

藤井弥太郎「運輸省は交通にも着目すべき」

藤井弥太郎が「運輸省は交通にも着目すべき」と指摘していますが、ここでは暗黙の裡に「運輸事業」と「狭義の交通」が呼び分けられています。

藤井弥太郎・大塚秀夫1993「<対談>豊かな生活をめざした運輸政策の展開」(トランスポート第43巻第1号)

地方のバス輸送の活性化

藤井 最近、地方のバスがかなりまた弱くな っていますね。例えば、群馬県は自動車の保有率が日本一なんですが、、バス路線が全くないという市や町が出てきています。

大塚 バス輸送の確保の問題は生活の足の確保という面だけでなく、道路交通混雑問題、 環境問題といった面からも重要になってき ています。

藤井 基本的には、地元がイニシアチブをとらないとうまくいかない問題だと思うんですけれど、在来路線の維持というだけでなく、地域の変化に対応する路線再編成などにも国のバックアップがあればという感じがしますね。
また、人口の少ないところではどうしてもマイカーを使うことが多いですよね。そういう意味では、運輸白書の中でもマイカーについての記述がもう少しあればありがたい。運輸省というと、運輸事業としての輸送の監督という感じを受けるんですが、マイカーや自転車の使い方なども含めて、交通として行政をご覧になることも非常に重要になってくると思います。

大塚 運輸省としても、マイカーについて考えていく必要があると思っています。歴史をたどってみると、当初マイカーは面的な輸送機関であったのですが、高速道路が発達してきて、長距離輸送においてもマイカーが利用されるようになってきたところに公共輸送検関との競合といった問題が生じ てきたわけです。そこで、もう一度公共輪送機関とマイカーの役割分担を考え直して いく必要があると思うんです。 例えば、目的地までは公共輸送機関を利用して、目的地でバスやレンタカーを活用 するというような仕組みを普及させていく というのも方法の一つですね。ただ、今回の運輸白書の中でマイカーの問題にあまり 言及していない理由の一つとして、公共輸送機関の必要性を中心に書けば、その裏返しとしてマイカーの問題も国民の皆さまにご理解いただけるのではないかという気持ちもあります。

運輸省大臣官房参事官「“運ぶ”ことから“動く”もののコントロールへ」

運輸省がその名に反して(あるいは忠実に?)広義の交通のうち「運輸業」しか管掌していないことを指摘したかなり早いテクストです。

林周二・原田昇左右・高橋寿夫1970「あすを拓く運輸―運輸行政を語る―」(トランスポート第20巻第10号)

○“運ぶ”ことから“動く”もののコントロールへ

高橋 人の方の話なんですがね。お話を伺いながら感じたんですけれども、こんど発刊される雑誌も、寄しくも≪トランスポート≫というんですがね。(笑) 運輸といえば、これからはトランスポートじゃなくてね。トランスファーとか、モビリティーとかいうことになるのではないか。
いままでの運輸行政は、交通機関を監督するということだったから、なにか≪運ぶ≫ということが、われわれの仕事の中心だったんですけれども、これからは≪動く≫というのをどうやってコントロールしてゆくか、ということが中心になるのではないか。これはやはり、交通というものが専門家の手から素人の手に移ってきたということですね。われわれがちょっと練習すれば、交通機関を運転できるようになってきたという、これからはじまったんだろうと思うんです。
乗物に乗るってことは、運んでもらうってことだったんですが、こんどは自分で動かすってことになっちゃったんです。で、それに対する対応というものが、われわれの行政体系に、まだ全然できていないんじゃないか、みんなが、まだその気になっていないんですよ。

  そうですね。気がついていないんですね、まだ。

高橋 ですから、ここのところをですね、どうやってゆくかということが、交通問題の一番典型的なものだと思うんですが、最近こそわれわれは、高速鉄道の整備の問題と同じようなウエイトで、路面交通の問題をとり上げなきゃいかんということに、やっと気がついてやっているんですけれど、さあ!やろうと思いますとね、非常にフリーハンドが少ないんです。≪運ぶ≫方についての手立てはいろいろ持っている訳ですよ、ところが≪動く≫方をなんとかしようと思うと、非常に運輸省はフリーハンドが少ないんでですね。いま、どうやってやったらいいのかと、いろいろ考慮中なんですが、≪動く≫方のことをコントロールする権限が、現在いくつかの省にわかれているんですね。そこに大きな問題があると思います。

松本嘉司

松本嘉司1985『土木工学基礎シリーズ9 交通計画学』(培風館)p.2

交通とまぎらわしい概念に、輸送(transportation)という言葉がある。これはある人の交通目的を達成させるために、その人とそれに伴った物とを移動させる第三者的な行為である。交通は現象説明的な用語であるが、輸送ということの中には、目的達成のための方法が含まれている。また、交通という言葉には、移動する人間の立場から、なぜ移動が行われるかといったような、その移動の本質を考えることが含まれているが、輸送にはそういった人間的なものが少なく、人間を移動させるために、第三者的な立場から効率のよい移動システムはどんなものであるか、ということを研究するものである。したがって、物のみを移動させる場合には、それは移動の目的を達成するために行う人間の行為であるから、一般には輸送と呼んでおり、交通とはいわない。最近では、物の移動であっても、それを現象的に考えて、産業活動の一環として見るような場合には、物資流動という言葉が用いられている。

喜安健次郎

法科の行政官らしく「運送」を厳密に定義しようとした文章になります。その議論の過程から広義の「交通」が包含する概念の幅が読み取れるところに現代的意義があるのではないでしょうか。

喜安健次郎1927『運送営業 訂3版』(巌松堂書店)pp.3-5

運送の意義、所在変更

運送とは人又は物の所在を変更することを謂ふが所在の変更は必しも一定の場所から他の場所に移動せらるることを必要としない。尤も日常の事例に付て見れば運送は人又は物を最初の所在から他の場所に移動することが常態であるが之を以て運送の要件とするは妥当でない。従つて例へば旅客が回遊乗車券で乗車し結局最初の乗車駅に帰着する場合でも運送たるを妨ぐるものでない。

運送たるが為めには人又は物が現実に其所在を変更することを必要とする。故に例へば為替・送金の如きは運送でないが、他方に於て運送は運送委託者から受取つた物自体を荷受人に引渡すことは要件でないと思ふ。例へば後に説明する満鉄会社で実行する託送大豆の混合保管の如きは単純な運送の場合に比して特異の関係が加はって来るに過ぎない。

運送に非ざる所在の変更

人又は物の所在の変更を以て運送なりと謂ふは物理的に観察してのことでなく社会的の観念である。換言すれば物理的な所在の変更にして一定の要件を具備しなければ之を運送と謂ふことは出来ない。而も其要件の何なりやは甚だ困難な問題であるが試に次の諸点に付考察する。

第一に所在の変更が人の意思に基かずして行はれる場合例へば物が風力、水力に依り自然に移動し又は動物が走行するが如きを以て運送と謂はないことは疑を容れない。尤も人が風力、水力又は動物を利用して所在の変更を行ふ場合は運送たるを妨げないことも亦勿論である。何人の意思に基かない所在の幾更を運送と認め得ずと謂ふことは必しも其事実に関し何等法律上の効果が生じないことを意味するものではない。

第二に所在の変更は夫れ自体人の需要を充すものでなければ運送と謂はない。然し右は所在の変更が独立して需要満足の手段たることを要すとの意味ではない。複雑な社会現象が相互に関連して人の需要を充す場合に於て所在の変更が其関聯する事実中に介在し而も需要満足上比較的重要な地位を占めて居る場合には之を運送なりとするを妨げない。而して所在の変更が右の地位を占めるや否やは各場合に付て具体的に判定すべく所在変更の距離の大小の如きは必しも唯一の標準ではない㈠。

㈠室内の家具を掃除の為めに移動する場合は掃除が需要満足上重要な地位を占めるものであるが転室の為めに家具を移動するときは其距離が小なる場合でも運送である。又庭園の風致の為めに樹木の移植又は庭石の置替を為すは運送でない。

第三に人の所在の変更は他人に依り実行せらるるときに限り運送であつて例へば自ら歩行し又は自転車で走行するが如きは運送とは謂はない㈡。

㈡汽車、電車、船舶等に乗務して他人又は物の運送に従事する者は同時に自己の所在を変更せらるる結果を来すが、此所在変更に依りて需要が充されるものでないから運送に非ざるは本文第二で述べた所から明白である。

運送の目的物

運送の目的物は人及物品の二者に限られる。

人間
運送の目的物としての人とは人間であつて死体を含まないし又法人が性質上運送せられ得ないことも当然である。運送の目的物としての人は、性、年齢、能力等に依り区別はないが時としては取扱上に差別のあることがある。例へば鉄道に於ける小児運賃の如きである。又人は必しも赤裸の身体に限り運送の目的物たりとの意味でなく其衣服、帽子、履物等を附した状態に於て運送の目的物として取扱はるるものであるが此点は後に説明する。

物品
運送の目的物たる物は性質上其所在を変更し得べきものたることを要するから有体物でなければ運送の目的物たり得ない。従つて権利の移転又は電信、電話送電の如きは運送ではない。他方に於ては有体物は必しも悉く運送の目的物たり得るものではない。所謂不動産は性質上、所在を変更し得ないから運送の目的物たり得ない。

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